# 日記ほか
 管理栄養士氏の指導を受けた。
 今月はかなり頑張って炭水化物の摂取量をコントロールしたのでお褒めいただいた(30分の面談の最初の数十秒だけ)。血液検査の数字にもきちんと反映されていたので良かった。
 次は糖質以外の栄養素やカロリーについても考えてくれよな、とゲームのステージが1つ上がってしまったのでややつらい。来月もやっていきましょう。

平山夢明『他人事』の「おふくろと歯車」から引用。
① コンビニへ、パン二個とジュースを買いに行ったが食べられなかった
もし自分がこれを書いたとしたら、おそらく
② コンビニでパン二個とジュース買ったが、食べられなかった
となっただろう。 これは、①のほうが良い。②は説明。①は情景描写だからだ。人物の動作や行動が描かれていて、極小単位の物語がある。 文章として考えると①は省略が多い。買いに行って、買って、帰ってきて、食べようとして、食べられなかった、の手順の真ん中部分がごっそり抜けている。自分はこの抜けがどうしても気になってしまって②の書き方になるのだが、その結果がただの説明になってしまっては、満点が取れないから0点でいいやという愚かな完璧主義者と同じである。 文章における味というのは、こういう小さな"読み甲斐"を積みかさねて発生させていくものだと肝に銘じたい。

# お題練習

◯ 適当に思いついたものを書くのではなく、狙ったテーマやお題に沿った話を考える練習をしましょう
【お題】怪異との再会 怪異に出遭ったと思ったら、実は子供の頃にすでに出遭っていた。 子供の頃から怪異に見つめられていたのだ、と改めて知ってしまう話。
◯ 子供の頃に出会うものと言えば? 動物、同年代の友達、乗り物、遊園地などの遊び場、テレビ番組、ゲーム、おもちゃ、絵本、歌、あやしてくる人、子供しか行かない場所、祖父母、祖父母の家や田舎 ◯ どれが良さそう?  あやしてくる他人が怖いかも。 ◯ 「あやしてくる他人」でざっくりあらすじ
2人の子供がいるMさん。公園に行くといつも子供をあやしてくれる老夫婦がいる。 保護者仲間のお母さんたちは気にしていない様子だが、Aさんはなんとなく不審に思って距離を置いている。 ある日公園で子供を遊ばせているうちに、ふとしたタイミングで子供を見失ってしまった。 探してみると、今まで気付かなかった公園の目立たない場所にベンチがあり、そこで例の老夫婦が子どもたちに絵本を読ませているようだ。 警戒しつつも礼をするために近付くと、読ませている本は絵本ではなかった。不気味な言葉が書かれている詩集のようなものだった。 老夫婦はページをめくりながらニコニコと本を読み上げ、子どもたちもそれを復唱している。 すぐに子供を引きはがし、二度とその公園には行かないようにした。 後日、老夫婦の話を親にすると、お前も子供の頃に公園でよく老夫婦に絵本を読んでもらっていたよ、と言われる。 親から教えられた老夫婦の特徴があの老人たちと一致してゾッとした。 あの本の内容を暗唱できてしまう気がして、できるだけ考えないようにしているという。
◯ 本文を書いてみよう 【タイトル】そらんじ 「そのアルバム、捨ててもらっても良いですか……?」  リビングの座卓で、主婦のMさんは窓の外を見ながらそう言った。  私は手渡されたアルバムを1枚ずつめくって、まだ幼い姿のMさんの思い出を眺める。産まれたばかりの赤ん坊、芝生で走り回りながらこちらを笑顔で振り向く幼子、校門前で母親と並んで立つ小学校の入学式、観光地で撮ったであろう家族写真。退色して褪せぎみの写りが家族の歴史を感じさせる。  ごく当たり前の、幸せそうな姿が収められたアルバムだった。 「捨てていいんですか? 大切な品に見えますけど」  私の疑問にMさんはしばらく黙っていたが、やがて少しずつ理由を話してくれた。  それはまだMさんの子どもたちが幼稚園に入る前のこと。5年前の話だった。  Mさんの家の近くにはそれなりに広い公園がある。砂場や滑り台などよくある遊具が揃い、公園自体が広くて場所の取りあいになりづらい。Mさんがよく行っていた頃は年長で乱暴な子どもがあまりいなかったので、小さな子どもを遊ばせるにはぴったりだったという。MさんやMさんの友人のお母さんたちは、よく木陰のベンチに集まって元気ざかりな子どもたちを遊ばせながら、雑談に花を咲かせていた。  公園に来るのはもちろん親子だけではない。スーツ姿のサラリーマンがベンチでサンドイッチを食べていたり、大学生が演劇のセリフを練習していたりした。  そのなかにはとある老夫婦も含まれていた。週に2、3回、決まってお昼すぎに公園を訪れて、ベンチでふたりで佇んでいたという。  老夫婦は子ども好きだったようで、よく遊びに来ていた子どもたちを構おうとした。そんな老夫婦を遊び盛りの男の子はあまり相手にしていなかったが、大人しいタイプの子たちはウマがあったのか、楽しそうに話しかけにいく姿がしばしば見られた。 「私はずっと厭な感じがして、正直避けていました」  Mさんの直感をよそに、その老夫婦はまわりの保護者からは信頼されていて、だれも彼らが子どもと遊ぶことを咎めたりはしなかった。それどころか、ちょっと子どもから目を離したいときに、老夫婦に子どもを見ててほしいとお願いをする人さえいた。なぜ皆があの老夫婦をそんなに受け入れているのか、Mさんには理解できなかったそうだ。  ある日、Mさんはいつものように、2人の子どもたちと公園に訪れていた。  しばらく子どもを遊ばせていると、Mさんは尿意を覚えた。その日は例の老夫婦がいたが、砂場で他所の子どもたちと遊んでいたため、子どもたちに軽くひと声だけかけて、そのまま用を足しに行ったという。  戻るまでに五分もかからなかったはずだと言うMさんの言葉と裏腹に、子どもたちの姿は公園に見当たらなかった。砂場にいたはずの老夫婦も居なくなっていて、Mさんは嫌な予感がした。余計な気を回しただれかが、子どもたちを老夫婦に引き合わせたのかもしれない。  公園のあちこちを探すと、今まで存在さえ知らなかった遠くのベンチに、果たして老夫婦と子どもたちが座っているのが見えた。今すぐ子どもたちを連れて帰りたいが、彼らに落ち度があるわけではない。イヤイヤではあったが礼を言うためMさんは老夫婦の元へ早足に向かった。  彼らはなにかの、本を読んでいた。大きくて薄い本だ。ベンチに腰かけた老婆が膝に本を開き、左右の子どもたちがそれを見つめている。お爺さんは老婆の後ろに立ってニコニコと子どもたちを見つめている。  最初は絵本だと思った、とMさんは言った。  だが近づいていくにつれて、絵本ではなさそうだということが分かってきた。開いたページに絵が描かれていなかったからだ。大きなページのなかに縦書きの文字がいくつも書かれている。ずいぶん余白が多かったので、詩集であるようにも見えた。  老婆のしわがれた声が聞こえてきた。  楽しそうに本を読み聞かせている、と思ったのだが、読み聞かせとはちょっと違っていた。  老婆の話し声のあと、左右の子どもたちもまた何事かを言っているからだ。老婆が話し、子どもたちが喋る。また老婆がなにか発し、子どもたちも繰り返す。  復唱させているのである。  彼らが何を言っているのか、その本に何が書いてあるのか、しっかりと分かるぐらい近づくと、それはこうだったと、Mさんは語った。  たにのごろうが むすめをころした  あたまつぶして はらさいて  おまえのははおや ばいたのねしごと  みずこたべては くそをひる  いしもて やりもて とところせ  むらさともして ぐじゅ じゅじゅり  彼らはさも楽しそうに、笑顔で読み上げている。  Mさんはとっさに子どもたちの腕を掴んで抱きよせた。不思議そうに見上げる子どもたちと、笑顔のままこちらを見つめる老夫婦。 「奥さんもどうですか?」  もはやひと言も発せられないまま、急いで子どもたちを連れて家に帰った。2人にはあの老夫婦に2度と会わないこと、今日あったことは全部忘れることを言いつけた。また、今までこういうことが何度もあったのか、と問い詰めたが、覚えていないという。子どもたちはMさんの剣幕におびえて泣きだしてしまい、それ以上は確認できなかった。  Mさんはその公園には二度と行かず、遠いとなり町の公園に、自転車で通うようになった。  公園での出来事があったその日の夜、Mさんは仲の良い母に電話で老夫婦の件を話した。こんな恐ろしいことがあった。もう二度とあの公園には行けない。子どもたちに変なトラウマができていないといいが……  ところが、母親はあっけらかんと「おまえも昔は公園で本を読んでもらうのが好きだったね」と言ったのである。  そんな記憶はまったくなかったMさんに、母は「アルバム見てみて。公園の写真、残ってたと思うよ」と言い、Mさんが実家から持ってきていたアルバムを通話ごしに開かせた。  母に言われたページを見ると、そこにははっきりと、笑顔でベンチに座る、2人の老人に挟まれた小さなMさんの写真があった。  写真に写っていた老人たちの顔は、今日会った老夫婦とまったく同じであった。  その写真を実際に私は見た。人懐こく、優しそうな老人が2人、ベンチに座り、幼いMさんの左右でにっこりと笑っている。  私はその写真をなんとなく指でなぞりながら、Mさんの言葉を静かに聞いた。 「今も暗唱できるんです。もっともっとたくさん。あの言葉たちを」  たやすくそらんじられることの意味を、これ以上考えたくないと、Mさんは吐き捨てた。

# 「他人事」(平山夢明/集英社文庫)
「他人事」(平山夢明/集英社文庫)のうち、表題作「他人事」を読了。
 めちゃくちゃ嫌で、意味不明で、最高。久しぶりに平山夢明の本を読んだな~と思った。
 憎悪というハシゴを登りつめたあとに、ハシゴ外しどころかハシゴそのものが消滅して、でも体は地面に落ちることなくその場に張りつけにされて「???」という顔のまま動けなくなる、みたいな話。なんだそれはと思うだろうが、マジでそうなのだ。
 絞りに絞って放った弓矢が虚空に飲まれていくような、逆カタルシスを味わえるお話。途中の嫌すぎるグロテスクな描写や憎しみの表現にあれほど力が入っていなかったら、「オチに困って話を投げた」と思われてもおかしくないところ。途中があまりにもエグいからこそ、最後の落差にサウナのごとき"整い"(※1)が発生する。腕力があるから描ける話もあるのだと勉強になった。

※1 高温の蒸気風呂と水風呂の入浴を交互に繰り返すことで強制的にリラックス状態を作ることを日本では"整う"と表現することがある。健康的な行為であるかは意見が分かれている。